こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、養成所や俳優学校を卒業してもなかなか実践に生かせない方を対象に、私の記事を役立ててもらえたらと考えています。
私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」
さて、リー・ストラスバーグがメソッドアクティングで追求していった「感情の記憶」について。
※ここでの「感情の記憶」はセンソリーではなく、「過去のトラウマや傷の記憶」のこと。
噂でメソッドアクティングは危険、怖い、といったイメージを持っている方もいると思います。
精神的に疲弊してしまうのではないか、と。
それはYesでもありNoでもある。
感情の記憶の使い方、そしてそのエネルギーの消化の仕方、など。
それを使用することで有用かどうかは、一流のアクティングコーチのリーディング(導き方)によって変化すると言えるかもしれません。
また現在は「感情の記憶」で追体験した気持ちそのものをそのままシーンに持ち込むことはナンセンスです。
それはシーンの中の対象から影響を受けにくいからリアリティをそもそも失っているからと言えます。
あくまで役の準備、或いはシーンの直前の体験のため、などに有効な手段。
また潜在意識の蓋を開け「自然に感情が出ちゃう」ための、自然に潜在意識にタッチして演技していけるための必要課題。
つまり、何より演技トレーニングとして感情を解放していくうで、「必要な課題」という認識を私は持っています。
メソッドアクティングが日本で定着しなかったもうひとつのイメージには、相手に関わることなく、独りよがりの俳優を増やしたことでないでしょうか。
これもまた、適切なアクティングコーチがいない場所で広まったとしか思えない内容なのです。
メソッドアクティングのジェームズ・ディーンの演技の凄さ
まず最初に、私の感動体験から。
ジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」「エデンの東」を10代で初めて観た時は衝撃でした。
リーゼント気味の髪型、タバコ、アウトサイダーのような格好、反抗的な若者の象徴のイメージがありました。
ところが映画を観ると、心脆い姿が見え隠れし、声も幼く、繊細な男がいたのです。
”弱い”ということが自然で滲みでながら、父親の愛を乞い、友達には強気に振る舞う姿は、人間くさくて魅了されました。
日本のコミカルでも若者を描いた「ビーバップハイスクール」や「仁義なき戦い」などにない、圧倒的な弱さと脆さ。
メソッドアクティングに魅せられました。
そして、マーロン・ブランドの「欲望という名の電車」の演技。
人への執着心、強そうなガタイの下にある繊細さ、幼稚さ、日本の映画やドラマでは観たことのない姿。
それらに感動して10代後半に「俳優」を意識した部分があります。
なので、養成所に通い始めた時の、あまりのギャップに「なんじゃこりゃ!」となった経緯があります。
過去の記憶を掘り下げる演技法は大丈夫なのか

リー・ストラスバーグと演技トレーニングを一緒に開発し追求していたのが、NYアクターズスタジオの日本人最初の正会員、ゼン・ヒラノ氏。
そこで「抑圧された感情」から「感情解放」に繋げたトレーニングがされています。
これはジョン・レノンも実践したと言われる、アーサー・ヤノフ氏の原初療法から「抑圧された感情」を解放していくことを考案。
その潜在意識に隠されている「感情」を「解放」することで、俳優を自由にしていくこと。
それが今のメソッドアクティングの「感情解放」のトレーニングの醍醐味と言えるでしょう。
現在のメソッドアクティング

簡単に言えば
感情の記憶にある、辛い過去や苦しい過去、それらが苦しいままにあるのは、消化されていない感情だからです。
私たちは言いたいことを言えずに飲み込んだ感情がたくさんある状態。
感じたことを即(感じた瞬間に)表明した場合、その感情は報われた状態となり消化できたことを意味します。
言い方を換えると、感情が成仏されたイメージなのです。
成仏された感情は、いつでも引き出せるようになり、潜在意識から自分を深く傷つけることなく放出していけるということなのです。
つまりスムーズに潜在意識にタッチしながら演技が可能になるということ。
魔法の扉が開いたような状態なんです。
感じたことが素直に表出することが可能になるため、「感情の記憶」にもタッチしながら演技ができるようなるのです。
例えば、役が感じた孤独感が、自分の蓋をしていた頃の孤独感に繋がり(自然にタッチして)心と体が反応するようなもの。
メソッドアクティングでいう「感情の記憶」の使い方としては、今は消化して使用可能にすると私はゼン・ヒラノ氏の方法を支持しながら使用しています。
少し、言葉だけで説明するのも難しいですが、私がアクティングコーチをしながら、感情にブレーキがかかっていく人の原因のほとんどは「抑圧された感情」に見てとれます。
自覚していない方は、自覚していくことで、その解放への一歩を踏み出していくお手伝いをする気持ちでやっています。
恐らく、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーンは、成仏できていない感情のまま使用した可能性が高いかと思います。
マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーンのトラウマからくる苦悩

多くの方が心配しているのは、リー・ストラスバーグに師事したマリリン・モンロー、ジェームズ・ディーンのことではないでしょうか。
メソッドアクティングの感情の記憶を使用した演技トレーニングは、この当時、自分の過去のトラウマや傷と潜在意識から引っ張り出し(追体験し)その未解決な心理状態を役に当てはめ、役として生きる試み。
それらのトラウマなどがDVや性的虐待、ニグレクト、喪失感、性的自認錯誤など蓋をしてもしきれないような内容だったりすると、それをそのままシーンの中に持ち込むことは強烈なセンセーションを俳優に起こします。
また自分の傷に素直な状態でもあり、オープンな演技へと繋がります。
相手に影響を与えながら、また自分に返ってくる、演技の相乗効果ももたらしました意義は大きい。
その蓋をした感情に対して、カウンセラーや適切なアクティングコーチのもとで解放されたものでない場合、うつ状態となり俳優が心と体をボロボロにしていく場合もあり得るということ。
日常生活に支障をきす場合があったのです。
マリリン・モンローは、自殺の可能性。
ジェームズ・ディーンは、自動車事故。
精神状態がどうだったのか、うつ状態だったのか、双極性だったのか、色々と可能性がありますが、果敢に演技の追求に挑戦した素晴らしい姿勢に感服します。
演技開拓した先人のひとりとして、リスペクトしています。
自己満足な感情解放がメソッドアクティングにマイナスイメージをもたらした!?

日本で煙たがられたメソッドアクティングは恐らく、感情を放出することだけを目的にした演技が出てきてしまったためと思われます。
コントロールができず、しかも自己満足的な感情放出。
相手との対話が成り立たない一方通行。
演出家や監督もリードできない状態があった、ということなのではないでしょうか。
10数年前に、そのような状態と思われる俳優や劇団を見たことがありますが、ひたすら怒り、涙を流したりと、傷の舐め合いのようなシーンの連続に引いてしまいましたし、お客さんを置いていっていました。
感情を放出することが、自己発電だけ(自分の記憶だけ)に頼った場合、相手からの刺激を受けるよりも自意識の世界にはいりナルシストのような状態になりかねません。
そこで必要なのが、「目的に向かって行動をする」こと。
そうすれば、相手と関わることが必然となり、対話が生まれたシーンになったでしょう。
イヴァナ・チャバックの演技術における、トラウマの使用

イヴァナ・チャバックの演技術は日本でも注目を浴びており、毎年公開ワークショップが大々的に開催され、非常に興味深いです。
私の知り合いの俳優・アクティングコーチも2度ほど体験しており、演技の可能性を見出しています。
その方法としては、メソッドアクティングとは違い、未解決のトラウマや心の傷をそのまま、相手役たちに当てはめ、その人に置き換えて演技をしていく演技法です。
成仏できていない「抑圧された感情」を、そのまま相手に関わって演技していくわけですから、強烈なセンセーセンションが起こり得ますし、実際に素晴らしい体験の演技になります。
そして、未解決なことを、演技をすることで解決に向かっていけるということかもしれません。
結果、心を病むよりも、演技中に消化されていくような感情解放をもたらせていると思っています。
まとめ

メソッドアクティングの感情解放について、述べてみました。
難しいところもあったかもしれません。
潜在意識にタッチしていくことが、俳優の感情豊かな演技につながる部分ですので、誤解なく演技トレーニングができる環境をつくることがアクティングコーチの努めだと思っています。
そして、大事なのは実体験からくることもタッチしながら、想像力・想像の刺激により自分を役を生きることが重要なのです。
その方法を知り、演技を追求していくこと。
決して、演技は感情解放単体で考えることではありません。
時に演技講師の荒技が人を傷つけたままにしてしまうことがあったりします。
有名なアクティングコーチでも起こり得ること。
強引な感情解放は、「抑圧された感情」にさらに大きな蓋をしてしまう可能性もあります。
それらを相手を見ながら見極めれるアクティングコーチのレベルが必要かもしれません。
アクティングコーチと俳優との信頼関係があってこそ。
アスリートとコーチの関係に近いかもしれませんね。
そこまでしなくても、と考える方もいると思います。
そう思うのであれば、それで良いのです。
いつか、自分のブレーキの癖や、見せたい自分しか見せていないことに気がつく時がきたときに
演技のさらなる追求をしていければと。
その時に、相談できるアクティングコーチがいれば幸い。
私も、そうありたいと思って続けています。

































「抑圧された感情」というのは、だいたい6歳くらいまでに親に愛される自分を演じたが故に抑えこまれた感情。