俳優は無知ではいられない、今、世界や日本で起きていることを知る意味

俳優は無知ではいられない、今、世界や日本で起きていることを知る意味

こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、養成所や俳優学校を卒業してもなかなか実践に生かせない方を対象に、私の記事を役立ててもらえたらと考えています。

私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」

さて、今回は少し気後れしそうなタイトルだったかもしれません。
俳優は無知ではいられない。
ここに多くの人は賛同するでしょう。

俳優を志す人に俳優になりたい理由を聞くと「色々な職業ができるから」といった理由をあげる方がいます。
しかし、その内情はコスプレ感となんちゃって感の意味合いも多い。

役を生きるための準備として、その役がどうやってその仕事についたのか物理的や経済的なことまである程度知っていくことも必要かもしれません。

警察官、消防士、警備員、金融機関等。
実際にその仕事をしている人に対して(少なく見積もって)失礼にならない程度には、最低でも勉強が必要だとしても、勉強を怠りやすい。

ちょい役ならそんな時間もないでしょうし、映像現場なら準備の時間すら短いかもしれません。
できればググって終わるより、体験知識は一冊の本を読む方が深まる。
そのことを知っておいてください。

そして、私は日本の俳優に足りないもの、それは日本の社会情勢や世界の社会情勢に対する関心だと思っています。
さらに言えば、政治に対しての無関心。

すぐに右や左にジャッジされ、二項対立にされてしまいそうになる発言やSNSに対して、あなたは「考えないようにする」ことを一般社会では選んでいるかもしれません。
しかし、人前ではそれで良くても内情は勉強不足そのものなのです。

ここまで踏み込んで伝えるアクティングコーチも日本には少ないかもしれません。

海外の俳優や一般の方々は自国の歴史・宗教・政治・社会情勢に関してさまざまな意見を持って話してきます。
また、実際にそのような体験の話も聞きます。

そもそも、その点において暗記で覚えた歴史は何の役にも立たないのです。
俳優になるのであれば、俳優であれば、どんな対立があって何が起きているのか、身近なところから探求したいところ。

なぜならそれが、人間理解への旅なのですから。

なぜ俳優が政治のことを知らなければならないのか

知るべきことは政治だけではありません、歴史も哲学も心理学も行動学も様々です。

しかし、特に政治に関しては身構えているのではないでしょうか。
恐らく政治に関して口を出すことの怖さを、SNSやテレビで叩かれるタレントや人を見て感じているかもしれません。

色々な意見があるよね?で終わらせて勉強をしない理由をつくることは常套句ですが、色眼鏡をいったん置いてぜひ色々と知見を深めて欲しいのです。

別に口論する必要はありません。
SNSで意見をどんどん述べる必要はありません。
まずは、ただただ知識を深めてみてください。

どうして、その必要があるのか?
なぜなら、多くの映画や舞台には、作家の社会や政治に対する不満やイデオロギーが隠されているからです

視聴率に特化したテレビドラマでは作家性を出すことは難しいでしょう。
しかし、舞台や映画は常に自国の政治や社会情勢に抗ってきた歴史があるのです。

もしかしたら脚本の本質を掴むためには、その知識が必要かもしれません。
一見すると恋愛物に見えるかもしれませんが、その対話の中に隠されているのは政治的なメッセージの場合もあるのです。

ホラーや娯楽ものの映画に隠された風刺やメッセージ

海外ではメジャー作品でさえ、あからさまに政治批判を入れていたり、完成後に監督がほのめかしたりします。

例えば、ポール・バーホーベン監督の映画で、「スターシップトゥルーパーズ」というのがあります。
これらは昆虫の形をした宇宙人をひたすら撃ち倒す映画。
戦争の馬鹿馬鹿しさを本気でパロディとして描いているのです。

リドリー・スコット監督の映画「ブラックホークダウン」も同様です。
人格があるのがアメリカ兵だけで、ソマリア軍には人格がなく、まるでゾンビのように襲ってくる相手です。
そんなアメリカのマヒした正義感や目線を露骨に示しているのかもしれません。

また人種差別、性差別を扱ったドラマや映画は多数存在しています。
エイズ差別も、その現状を伝えるために映画という形態を借りて世に訴えてきました。
(映画「フィラデルフィア」主演:トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン)

そして、理解へと結びつたりと、時には娯楽を越えて力強いメッセージで訴えるのです。

出演を決めるのは俳優自身であってほしい

あからさまに政権批判的なものや政治的な背景のあるものは出演を避ける俳優も少なくありません。

事実かどうか判断できなかったり、場合によっては俳優のイメージがマイナスになったり、スポンサーや広告代理店からのソッポを向かれる、などの理由があります。

タレントや俳優が現状の政治に対して反対の意見を言おうものなら、あっという間に異端児の扱いを受けてしまうのがこの日本の状況かもしれません。
そして、大手スポンサーのつく仕事はできなくなったりもします。
(投票率が40%台なのに政権批判発言であっという間に業界から干されてしまうこともあるから不思議です)

日本アカデミー賞を受賞した映画「新聞記者」に出演するには勇気が必要だったと思います。
またNetflixでドラマ化となった「新聞記者」もしかり。
内容が事実かどうかではなく、その内包するメッセージが政権批判をはらんでいるからです。

日本の原発事故を扱ったドラマや映画もありますが、批判する視点を避けながら人間ドラマに視点を向けて政治的な意味を観客に与えない様に配慮されたものもあります。
(私がそう感じるだけかもしれません)

しかし商業舞台以外の舞台は、作家がさまざまな物語でメッセージを訴えています。
沖縄のこと、日本の権威に対すること、貧困問題などなどなどメスを入れているのです。

あなたは知らず知らずに参加するかもしれません。
監督と話したり、自分で勉強したり、知見を深めていきましょう!

俳優が役の視点に立つために①

役は社会的なメッセージを知らなくてもよい。

しかし俳優はそれを知っておく必要がある。

それがモチベーションになるからです。

もしかしたら、その物語やあなたの役が誰かを助けるかもしれません。
もしかしたら、その物語やあなたの役が社会問題に議論をぶつけるきっかけを作るかもしれません。
もしかしたら、その物語やあなたの役がそれが世界を変えるかもしれません。

俳優が役の視点に立つために②

俳優は歴史をジャッジする必要はない。
もちろん、自分の意見を持っておくことは大事です。

しかし、ある事件や物事を、善・悪で区切ってしまった場合、あなたは善以外の悪の事情を受け入れなくなってしまいます。
この視点は多くの人間理解のチャンスを置いていくでしょう。

あなたが悪だと思っている人は、その人にとってはあなたが悪だったりするのです。
逆も然り。


立場や育った環境、知っている情報で、人の視点は変化していきます。
ですので、どっちが正義でどっちが悪というジャッジや色眼鏡をつけずに、知見を深めていくこと。
またそれぞれの事情を見つけていくこと、です。

それこそヒトラーという役をあなたが生きる時、ヒトラーをジャッジしては何もできません。

偏見を持つと、ヒトラーという人物が見えてきません。
歴史は彼の行為が悪だったことを知っていますし、彼が指揮し扇動した虐殺は肯定のしようはありません。

しかし、当時のヒトラーはそのことをそうは思っていない可能性が高いのです。
自分こそが正義だったのです。
あなたの正義の色眼鏡を外し、ヒトラーの色眼鏡をかける必要があるのです。
それが役の理解であり、人間理解への旅なのですから。

これはこのブログでも何度も言及している通りエンパシーが必要なのです。
合わせて「アクティングコーチが勧める役のへのアプローチ方法」の記事もご参考ください。

まとめ

作品に出会ってから勉強をする。
それもとてもいいきっかけだと私は思います。

自分にとって正当化できないほどの事件を扱ったドラマや映画で、あなたが犯人役だとしたら?
その役が世間的には悪だと思われていたら?

それでも、俳優は人間理解をやめてはいけない。
むしろ、興味を持って知っていってほしいのです。

特に選挙にも行かない、政治の状況を知らない、近代史を知らない俳優は非常に多い。
残念ながら現実です。

私の友人なんて親から政治と野球の話は人前ではするなと教育を受けた人もいるくらいです。
なぜなら喧嘩を誘発するからだそうです。

必要なのは喧嘩ではなく議論や、お互いの事情の受け入れ合い。
そして、多様性への理解。

私が言いたいのは、どちらかを正義か悪にする二項対立の視点ではなく、その物語をしっかりと見つめる目を養っていくことが大事だということ。

そして、人間理解をしていくことが、もしかしたら争いを減らしていけるひとつの要因になるかもしれません。
もしかしたら、俳優はそのポテンシャルを秘めているキーなのかもしれません。

だからこそ、俳優というアーティストの可能性。
映画・舞台というアートの可能性。
それらを私はずっと信じているのです。

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