こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、久しぶりに俳優業を再開する方などに役立ててもらえたらと考えています。
私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」
さて、今回はアクティングコーチ・演技トレーナー・演技講師としてのスタンスについて。
皆さんはアクティングコーチのもと演技トレーニングをしているとして、実際にシーンワークになった時に、演技の見本を見せて欲しいと思う時があるかもしれません。
あるいは、既に何度かそうして見本を見せてもらったことがあるかもしれません。
演技トレーニングのやり方について、
アクティングコーチは、やり方の見本を見せることはあっても
シーンワークの中で演技の見本は基本的には見せることはしません。
なぜなら、それが正解だとどうしても認識してしまい
その模倣を追いかけてしまうからです。
ピアノ講師が、お手本をピアノをやってみせたり、
声楽家の講師が、自分も歌うことで音を確かめながら指導したり、
ダンスの講師が、振り付けを見せて、それを生徒に模倣させたり、
するのとは演技講師・アクティングコーチは違います。
演技は、形のないもの。
講師が模範を見せて、その模範を模倣してもらうことを指導するのとは違うのです。
アクティングコーチの仕事は、
基本的には、俳優の想像を刺激し、俳優が創造的に動けるようお手伝いをしていくことなのです。
実は、名演出家・名監督もこの部類に入ってくると私は考えています。
私の経験から見る、やってみせる演技指導の間違い

私が若かりし頃、大阪で受けた養成所のレッスンのひどい状況として、こんなことがありました。
ベテラン俳優が講師で演技のシーンを指導された時のこと。
「こうやると良い」と言ってやってみせたりしました。
ところが、指導された人は、その真似をしているのですが、いっこうにベテラン俳優がやったように見えてこないのです。
ベテラン俳優も困りました、「こうして、こうやるんだ」と何度見せても、同じようにできないからです。
このベテラン俳優にも問題がありました。
指導しているのは、演技の目的や動機、障害ではなく…指導していたのは、自分目線での間、目線、言い方だったからです。
そもそも形の演技(見せる演技)を求めていたので、その形をひたすら求めていたのです。
※ここで求めている体験する演技とは真逆の演技です。
またある演出家は、ある俳優に「この役はこんな歩き方だ」とやってみせました。
その俳優は、その歩き方を模倣しようにも模倣できずに、何度もやってみ「おかしい、ぎこちない」と言われ続けました。
どうして形を追いかけてもうまくいかないのでしょうか?
どうしてベテラン俳優の講師や演出家は俳優が自分の真似がうまくできないのか分からないのでしょうか?
その当時は分からなかったですが、これが演技の教え方なのか?
と私は世界の演技を見ていたので不思議に思っていました。
原因は今ならはっきりしています。
それは講師自信も演技のベースを知らなかったり、体系的に演技を学んでおらず、また世界の先人たちが開発した演技を教わっていないからです。
舞台や本番経験と先輩から現場で技術を盗んで学んだり、劇団内だけで成立した演技方法を所得していたり、といった原因もあったりします。
そして、俳優が真似してもうまくいかない理由は、
その指導者と真似をした俳優は、そもそもの違う人間で違う思考回路で生ん状態も違うからです。(当たり前ですよね)
人間としての生理、行動の動機や目的、またその人の体の使い方やその人の人としての歴史、人生が全然違うからです。
役を生きたいのに、その講師や演出家と同じ呼吸で人生(役)を生きろと言われているに等しく、同じようにするのであれば、講師や演出家の背景までも体験する必要まで出てきます。
役と関係がないので、まったく不毛ですよね。
アクティングコーチが俳優にお手本を見せない理由

お分かりでしょうか。
スポーツ界やビジネス界と同じなところもありますね。
「名選手、名監督にあらず」
逆もしかり。
「名監督、名選手にあらず」
しかし、できないからやらないという意味ではないのですが、
名演出家・監督やアクティングコーチは、基本的に自分で演技をやってみせません。
なぜなら、どうしてもそれが正解だと俳優が思ってしまい
他の可能性への想像ができなくなってしまうからです。
よく言われる「俳優の想像力を奪ってしまう」というやつです。
演技を教える技術・能力は、演技力と比例しません

教える技術と、導く技術は、実際に演技をする技術とは違う能力であるということ。
これは名選手、名監督にあらずと同じですね。
俳優が演出や講師をしてしまうと、どうしてもやってみせてしまいます。
やって見せることしか教え方を知らない場合もあります。
また、自分の演技力をどこかでアピールしたい人もいるのです。
「私だったら、こうする」と。
そんな時、確かに素晴らしい演技を目の当たりにすることがあるかと思いますが、
多くの受け手は「そうすればいいんだ」という認識に陥ってしまうのです。
すると、受け手が見るのは、そこに現れた結果(形)だったりして
形の模倣に結局向かってしまうのです。
どういうわけか、その結果(演技)に至った俳優脳で考えるべき、小さなプロセスをたくさん無視したものが出てきてしまう可能性が高くなります。
それを参考程度に受け取れるのであれば問題ありません。
問題は正解が唯一でないこと、を知って対応できる能力が必要なのですが、それは相当なものなのです。
その意味は下の項目(俳優は不安な気持ちを抱えているもの、そこで欲しがる正解の罠)で説明していきます。
例外としての見本

どうして他の想像ができなくなってしまうかと言うと
そのやってみせた演技の目的や動機、役の背景からやって見せた演技を見つめることなく
単路的に形を模倣してしまう性質が不安な俳優にはあるからです。
「ああ、そうして欲しいんだ」
「ああ、そうすればOKなんだ」
と。
やって見せた見本の演技をなぞってしまったり
それに近い動きや行動の真似をしてしまうのです。
例外的に、私がやってみせることが必要と判断するのは、下記の場合と考えています。
(ほとんどやってみせませんが)
その俳優が役の本質を理解しており
役の背景や目的、動機からそのシーンを見ることを理解して
参考として道標が欲しい場合のみ、有効と考えています。
俳優は不安な気持ちを抱えているもの、そこで欲しがる正解の罠

俳優は不安な生き物で、監督や演出の期待に応えたいと考えています。
常に正解を求めているのです。
正解なんて一緒にトライ&エラーを繰り返して創作できれば良いのですが、
そうは思っていないのです。
我々は、幼少期からの学校教育で、基本的に正解が1つしかない問題ばかりに直面してきました。
義務教育のテストの範疇は基本的には正解か不正解のどちらかです。
そして、ちょっとした質問でもテストでも教師の問いかけにもまるで審査を受けるかのように、「こう言ったら正解なのか?」「どう答えたら良しなのか」正解かどうかを常に気にしています。
心当たりはありませんか?
私は生徒に感想をよく求めたり、考えを聞いたりしますが、多くがこの呪縛を受けているのを感じます。
「どう答えたら正解なのか」「どう答えたらちゃんと理解してると思われるか」を気にしてるのです。
何かの質問に関して「どう思うか言える人〜」なんて質問しようものなら、
ある年齢を境に、ほとんどの人が手を挙げることがなくなってしまうのです。
失敗や間違いが恥ずかしい年齢と言ってしまったらそれまでですが、
正解という確信を得ないと答えたくない衝動に駆られた経験はあるのではないでしょうか。
極端な例でしたが、別の言い方をすれば
俳優は、どこかで監督や演出家の顔色を(正解を)うかがっているといっても過言ではありません。
さて、そんな習慣がついた我々は、自由に演技しろ、考えろ、と言われたところで、
権威のある人(実際は権威ではないが、ここでは監督・演出家、アクティングコーチ)がやってみせたことに、一瞬にして「正解」と刷り込まれる性質ができてしまっているのです。
もはや習慣からきた反射反応ですね。
そうしたらもはや、その正解が頭が離れません。
何をしようとしても、その正解がベースに出てきてしまうのです。
全く別のアプローチが想像できる余地がある方はなかなかいないのではないでしょうか。
例え、「これが正解じゃないんですけど」と説明したところで…。
体や反射反応がいうことを効かないのです。
もしかしたら、海外の方は全然これに当てはまらないかもしれませんが、
実際の演技をやってみせる演出家・監督・アクティングコーチはほとんどいないのではないでしょうか。
想像力を奪ってしまう要因が理解してもらえましたでしょうか。
まとめ

いかがでしたでしょうか。
アクティングコーチや監督や演出家が、見本を見せない理由がわかってきましたでしょうか。
例外もありましたが、結果的に俳優の想像力を刺激するのであれば問題なとは思います。
自分がやった動きをそのまま要求するような
不毛な演出家も存在します。
大人気で爆発的人気を誇る某劇団もそんな演出家がいます。
私はきっと、その中の俳優さんは面白くないのではないかと心配しています。
想像力や創造性を奪われてしまっているからです。
もしかしたら、そんな制約の中でも想像力や創造力がフル稼働させて
頑張っている方もいるかもしれませんが…。
あるいは出演できるだけ幸せ、なのかもしれません。
忘れないで欲しいのは
俳優は、アーティストなのだ、ということ。
脚本の分析、役の分析、人間の心情の分析、それを自らの心と体を使って体験して、体現していくアーティストです。
アクティングコーチの指導でそのアーティストがどのように生かされていくのかを演技トレーニングを通じて研磨していって欲しいのです。
それを踏まえて、想像力・創造力を奪うリクエストはお互いにしないことが理想でないでしょうか。
クリエイティブでありたいですよね。
つまり、創造性・想像性ために見本を見せないようにすることは最低条件なのです。
クリエイティブであるために。





























