こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、久しぶりに俳優業を再開する方などに役立ててもらえたらと考えています。
私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」
さて、今回は遠慮する心理について考えてみたいと思います。
私は演出家でもありますが、こういうことがあるのです。
シーンの中である役がビンタを相手にする場面があったとします。
例えば、実際にビンタを体験するため、ビンタを共演者同士許し合ってやろうとしても、直前で手が止まってビンタができないのです。
実際に当てるから問題なのでしょうか?
そこで、殺陣(段取りでアクションを合わせて実際に当てずにそう見えるようにする動きを作ること)で実際は当てずにやる方法を実践してみます。
直前で顔を背けてビンタされたように相手役が動く段取りをしても、振り上げたその手が止まり、思いっきりその手をフルスイングできないなんてことがあります。
さて、どうしてでしょうか?
あなたは、遠慮なくビンタができますか?
原因は何でしょうか?
人が遠慮する心理、そこにはあなたの色眼鏡、つまり培ってきた道徳感や倫理観が邪魔するのです。
役ではなくあなたの視点から物事を見てませんか?

いくらリラクゼーションをしても、いくら目的に向かって行動したとしても、どんな相手に集中していても、ギリギリのブレーキがかかることがあるのです。
それは役になりきれていない、といったことでしょうか?
確かに、役を生きていない証拠にもなります。
役の目線に自分が立てていないのかもしれません。
心のどこかで、その役の行動や行為が「良くないと思います」と思っている可能性が高いのです。
あなたは、役の善悪をジャッジしていませんか?

今回、「ビンタをする・しない」ことを題材にしていますが、台詞でも「言える・言えない」が当てはまってきます。
まず分かりやすくビンタに関して話を進めていきます。
はっきり言ってビンタという行動は「暴力・DV」のひとつであることには違いありません。
きっと、そのシーンを想像するにあたり顔を歪めてしまうほどの人もいるかもしれません。
怒りが湧いてくる人がいるかもしれません。
或いは、辛い過去がフラッシュバックして苦しくなってしまう方もいるかもしれません。
私たちアクティングコーチ、演出家、脚本家、あるいは俳優は、なにもそれらを肯定しているわけではありませんし、当然良いことだとは認識していないのです。
しかしながら、そう行動してしまう人を共感こそしなくてもまずは理解する必要があるのです。
特に俳優は、その役を生きるに当たって、自分の道徳感や倫理観を置いて観ていく必要がある、ということが前提にあります。
演技とは、自分を知ることに繋がる

演技とは、人間理解の旅である、と私は定義をしています。
ずっと、ずっと、それは命題であり課題であり、十人十色過ぎて驚きが続くことばかり。
実際にあなたが暴力を受けていた過去を持っていたら・・・?
暴力は絶対にダメだと言われ続けてきた人だったら?
傷つけることは悪と子どもの頃から強く躾けられてきた人だったら?
さて、これを「暴力断固反対の色眼鏡」という言い方をしてみます。
何度も言いますが、私は暴力を肯定する気は一切ありません。
どんなに役を知ろうとしても、ギリギリのところであなたの色眼鏡が顔を出し、ブレーキをかけてしまう可能性があります。
それほど、個人個人が子どもの頃から刷り込まれてきた倫理観や道徳感はすごいのです。
もし、ご自身の倫理観や道徳感の原因が分からない場合、今の色眼鏡を自然につけるに至った自分を紐解くことで、人間理解への旅に参加することに繋がるのです。
そうやってまず自分を調べ、知ること。
そうずれば、他社理解への旅へと繋がっていくのです。
視点を変えて、俳優はエンパシーを見つけて役を知る

ビンタした行為そのものに視点を向けるのではなく、ビンタする行為に至った原因や過程を探る必要が当然あります。
ビンタにブレーキがかかる人は、ビンタそのものにスポットライトを当て続けていると言えるのではないしょうか。
その役に何が起きたのか、台本からしっかりと探ってください。
もしちょい役で記載がないのであれば、自分が信じるに足るモノを用意しましょう。
信頼している人からの裏切り、家庭環境の中で続く緊張の糸・慢性的な苦しさ、権威の維持などなど物語や断片から見つけていきます。
人に裏切られたからって、人にビンタするのか?と問われれば、する人がいる、といことをまず認める必要があります。
また、台本上の役(あなた)はやってしまったということ、なのです。
シンパシー(同情や共感)で、「この人はなんて心が可哀そうな人なんだ。ビンタする気持ちはよくわかる」といった少し遠くから相手を見る視点ではなく、次のように捉えて欲しいのです。
相手の立場になって物事を見る、つまり相手の色眼鏡をつけて物事を見る、ということ。
それをエンパシーと言います。
俳優がするべき準備はエンパシーです。
例えば、仲間が大きなミスをして役がビンタしたという行動を起こしたシーンを考えてみます。
原因は、その人の心理的な焦りや習慣なのか、初めての衝撃的な1発だったのか、2〜3回あったことなのか、何度もあったことなのか、台本から探っていく。
そうすると、相手に目を覚まさせるつもりで行動したのか、自分の辛い気持ちを分からせる目的か、相手の言い訳を封じるつもりで行動したのか、色々と「役の目的」が見えてきます。
「目的」が見えてくると、役を理解していく道筋が見えてきます。
エンパシーで想像するために「魔法のif」を使用する

さて、ここまできたらもう一歩です。
それでも、ビンタをするという行動そのものが理解できないのであれば、その役が受けた衝撃は「自分にとってどうされた場合の衝撃と同等なのだろうか」という視点で考えてみること。
最愛の恋人に自分の貯金を全額引き下ろされてハワイで違う人と結婚式を盛大にあげたことをLINEで知らされた瞬間に、その本人がニヤけて目の前にいたタイミングに等しいかもしれない。
相手が公衆の面前で自分のプライベートゾーンに許可なく触れてきた瞬間に等しいかもしれない。
そんな風に、想像しながら、役に近づいていきましょう。
ちなみに、こういった例え話で想像することを、スタニスラフスキー・システムでは「魔法のif」と言われています。
「愛している」が心から言えない人もいるのです

「愛している」という言葉は、映画やドラマ、舞台ではどんどん出てくるのに、日常的に言わない人も多いかもしれません。
もしくは、まだ本気で言ったことがない人、そう思える人がまわりにいない人、愛されたことを感じたことがない人までさまざま。
その台詞だけ、どうしてもブレーキがかかったり、内情が入っていかない人もいるのです。
そんな時に、「とても尊敬しています」というつもりで「愛している」という台詞を言ってみて、などとリクエストするとうまくいったりするのです。
いわゆる「置き換え」「インナーモノローグ」の方法ですね。
こういった役を知る方法をぜひ、覚えておいてください。
まとめ

とても繊細な部分で、俳優は時に役について「自分には理解ができない」「分からないんです」といったことを口にします。
もしかしたら、これを読んでいるあなたもそうだったかもしれません。
そんな時、「理解できない」「分からない」という言葉は、逆にあんたが理解しようとする行動を狭めている可能性があることを知って欲しいと思います。
これらの言葉は自分に使用すると、思考停止をもたらしてしまう可能性が高いと思いませんか?
どこかで相手に対して自分が潜在的に(無意識的に)諦めてしまうことを刷り込んでしまってる可能性すらあります。
最初にお伝えしましたが、「演技とは、人間理解の旅である」ということなのです。
理解できない可能性が高い役や役の行動についても、興味を持って接していくと共通点を見つけて、親友になれるかもしれません。
あなたがいくら人を殺すことはしないとしても、きっと蚊くらいは殺したことあると思うんです。
物凄く小さな害虫を殺すことに躊躇しない自分を発見した時、殺す相手を害虫のように見ていたらその行為もあり得る・・・可能性を発見するかもしれません。
私たちは、役をジャッジせず、「魔法のif」や「置き換え」、「エンパシー」を使って、役を理解し、そして最後には親友になるつもりで、その役(親友)の台詞を代弁するつもりに向かっていけると深く役を理解していけるはずです。
そうすれば、あなた個人が勝手に役の行動を止めることはない。
と思いませんか?





























