言葉で伝えにくい演技の本質を、理論的に言語化していきます。
当ブログは、『日本の俳優のレベルを底上げする』
というモットーのもと、
リアリズムの演技方法や演技についての悩みに答え、
演技のツールを人生に役立てる方法を提供します。
こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
いつも「Acting Life net」のブログをご覧いただきありがとうございます。
さて、自分のことをあまり紐解いて説明しないのですが、今回はエキストラ出演についてお話してみたいと思います。
皆さんはエキストラで
- 粗雑な扱いに傷つき、萎縮してしまう。
- 演技で爪痕を残したいのに、緊張で身体が固まってしまう。
- 「所詮エキストラ」と、心を閉ざしてしまう。
こんな悩みを抱えていませんか?
これは、俳優としての「実力」の問題ではなく、あなたの「心と感情の防衛本能」が原因かもしれません。
人前で萎縮してしまう原因を知り、現場で堂々と「必要な俳優」となるための第一歩として、まずは自分の緊張がどう日常的に反応しているのかを認識することが重要です。
認識すればあなたの課題が見え、その課題に向かって行動していけるのです。
尊厳を持って現場でいるために、まずは自分の状態をチェックすることをおすすめします。
↓↓ まずは30秒であなたの心のバリア度をチェック ↓↓
不平を言ったらキリがないほど、エキストラ出演は演技トレーニングをしてきた者や志が高い者の心を簡単に打ち砕いてくれる要素もたくさんあるのです。
現在演技トレーナーとしてさんざん演技について語っている私ですが、かく言う私も俳優としての映像のスタートはエキストラでした。
しかし私は、あるドラマのレギュラーエキストラから、主演俳優たちから名指しで指名され、やがて台詞をもらうようになり、自分の名前役の役を台本に書かれるようになった経緯があります。
「はみだし刑事情熱系Ⅵ」で始まったキャリア

私は大阪の某大学を卒業したその春に上京。
そして、探しに探して所属した芸能事務所において、その事務所にワークショプでよく出入りしていた監督が中野昌宏監督(以下、中野監督)でした。
中野監督は、TBSやフジテレビでドラマ監督や演出をして当時、テレビ朝日の社員で監督となり「はみだし刑事情熱系Ⅵ」の初回スペシャルを監督。その時に、私の所属事務所から数名を所内のレギュラー巡査役(エキストラ)として、署内のキャストとして置いてくれたことが、私の中で本格的なキャリアの始まりでした。
格言「どうでもいい役はない、どうでもいい俳優がいるだけ」
リー・ストラスバーグが言ったと言われる言葉にこんなのがあります。
つまり、エキストラでも同じだと私は言いたいのです。意識の持ち方、また準備の仕方でシーンの居方は全然変わってくると言えるでしょう。
私は現在、演技講師・演技トレーナーとして人に伝える時、この言葉はよく引用します。それくらい重要なのです。
たかがエキストラ、されどエキストラ

私が署内のレギュラーエキストラとなったのは、中野昌宏監督の七光じゃないか?と思いますよね。
その通りですね、きっと。きっかけは正に中野監督のおかげでした。しかしながら、上層部との衝突により中野監督は初回スペシャルのみで「はみだし刑事」の監督を降板されてしまいました。(思いもよらない事件でした)
つまり、残されたレギュラー巡査役の我々はあっという間に後ろ盾がなくなってしまった状態なのです。もしかしたら、その後も中野監督が私たちのことをプロデューサーなどに声をかけてくださった可能性もあります。
とは言え、もともと衣装さんの当たりもきつく、人によっては扱いが酷く嫌なこともあったほど。それでも中野監督が育てている俳優ということでプロデューサー陣も少し気を遣ってくれていたところもあるかもしれません。それは確かにありました。
いわゆるその庇護がなくなり、なかなか大変な状況に追い込まれたのです。

エクストラと捉えないこと、出演者としての役の準備

最初にこの役回りをもらった時に、私は役を生きるための準備を考えました。
そして、最初に行動したことは、BOOKOFFに行き「警察官になる本」というものを購入して、警察官になり方から勉強を始めました。
長らく署内にいるということは、どういうことなんだろうか?どんな仕事なんだろうか、と考えました。想像するには材料が必要で、想像の刺激になるものを求めて色々と探したり、交番を覗いたり。またその仕事につくということはどういう動機があり得るのか、自分なりに擦り合わせて体験していったのです。
私のこれらの勉強が果たして一瞬映る程度のエキストラに見えるのかどうか、それは正直分かりません。
しかしながら、自分が「そこに居る」ための努力は怠りませんでした。また俳優としての自分の準備を信じていました。なぜなら私が目指していたのは、アル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどと並ぶ変技だったのですから。
なぜ、私が「役を生きる」ことをここまで徹底できたのか?
それは、粗雑な扱いや理不尽な環境で心が傷ついても、 「感情を堰き止めて萎縮する」 ことを許さなかったからです。
あなたの演技を停滞させる最大の壁は、現場の環境ではなく、 「あなたが心を閉ざしてしまう防衛本能」 にあるかもしれません。
いますぐ見せる演技をやめて、今を生きる演技を体験しましょう!
シーンは常に即興で、そこに居たということ

カメラの配置があり、その中で、「どこが映るのか考えろ」と中野監督にもともと指示をされていて、「今、そこの映る位置を見つけろ」がある意味ミッションでした。
私にとってはそれはそれとして当時は受け入れながらも、もっと重要な「自らそこに居る」ためのアプローチが自分に必要でした。中野監督の目指していた俳優へのビジョンと私のビジョンは実は違っていたをここでは申し上げておきます。だからといってリスペクトしていないわけではなく、リスペクトしておりますし、とても感謝しております。
さて、中野監督の持論としては「カメラに映らないところで演技しても意味がない」ということでしたが、私はそんな風には捉えていませんでした。
つまり、私はカメラ前だけで形(見える風景)で映り込むことだけは避けたく必死だったのです。それはこういうことです。シーンが始まったら実際に作業してるように見せるのではなく、作業をするのです。そうして本当に生きる方向に向かったのです。
私のビジョンは持論でもなんでもなく、「カメラに映る前だけで生きても意味がない」ことを私は俳優の勉強から認識していました。
与えられたもの以外の小道具を考える

撮影所で衣装や小道具は貸し出されるのですが、署内のそこかしこに置いてあるものにリアリティを感じるのはなかなか大変でした。
実際には見えるためだけに置かれたたくさんのファイルは当然空っぽ。何に使用するのか想像が俳優に必須。
私は、想像の中でそれらにリアリティを感じながらも用意されたものだけでは足りないものがはっきりしていました。
それは警察手帳と仕事用のメモ帳です。
実は、私は自前で警察手帳(黒の手帳)を作成し、なんと現場に持ち込んでシーンの中で生きていました。勝手な行動でしたが、試してみて咎められることもないので、そのままずっとその手帳を使用し続けたのです。
自分以外の撮影時間に何をするか
大泉学園の東映東京撮影所のスタジオで、エキストラはずっと長い長い待ち時間を過ごします。朝撮影所に到着して着替えて、夜遅くに帰ることもしょっちゅうでした。主演俳優たちが自分の役が終わると楽屋に戻り、出演時に戻ってくるを繰り返す中、エキストラの私たちは楽屋に戻ることも許されず、ずっと待ち続けるのです。
当時は「俳優として成功してやる!」「俺の方がすごいんだ」と息巻いて大学卒業後に上京してギラギラしていた私は正直、この待ち時間の中で、主演の俳優たちがどんな演技をしているのか見てやろうと必死でした。恥ずかしながら、今はあなたが方の後ろにまわっているが、そっちに行きますよ、といった気持ちでずっと現場にいたのです。
他のエキストラが座って休む中、撮影の邪魔にならない位置で睨むように柴田恭平、樹木希林、平泉成、風間トオル、風吹ジュン(敬称略)の演技を見続けていました。
またゲストで登場する著名な俳優たちの演技も目の当たりにし、毎週火曜撮影所のスタジオ内で、「どんな演技を見せてくれるのか」(かなり失礼な目線でした・・・汗)と目をらんらんにしてずっと見ていました。
ちなみに、私は事務所内でもこの現場でリーダー役のような位置に置かれ、とにかく必死だったのもあります。

樹木希林さんが声をかけてくれたことで変化した現場
自分なりアプローチし、シーンの中で生きながら、休むことなく他の俳優さんの演技をじっと睨み続けていたある日のことでした。樹木希林さんが突然こう言ったのです。

このシーンは、じゃあ私のお手伝いがいた方がいいね。えっと山縣くんおいで〜
そして、こう続けました。

あなた、これもって立って『どうぞ』って言って私に渡して
と、資料か何かを持たせてくれました。
この時の撮影現場の「え?」という変化を未だに思い出します。
この「はみだし刑事」の現場は、レギュラーの主演俳優たちが時には監督よりも意見を強く持って発言していた現場なのです。例えば、今で言うと相棒の主演の方もきっとそうですよね。
このスタジオ全体の「え?」という空気感の中、少し厳しい視線と優しい視線が入り混じるのを感じたのも覚えています。そして、エキストラという遠く映る存在だったところから、樹木希林さんの横で動く、カメラに映らざるを得ない位置に入るようになっていきました。
また、樹木希林さんの「こう言って」といった言葉は、そのまま私の台詞になっていくのです。
時には柴田恭兵さんが呼んでくださり、山縣巡査の役がどんどん歩きはじました。
そして、当時事務所がかけあってくれたのものありますが、役名:山縣巡査(そのままですが)で、台本に私の名前が記載され正式に台詞をもらうまでになったのです。

ある日、樹木希林さんにお礼を言ったときこと
東映東京撮影所の道で、樹木希林さんがひとりで歩いている時に声をかけてお礼を言った時のこと。

あの、ありがとうございます!

「そんなんじゃないわよ。いつも頑張ってるのを見てたからね。」
と返答をくれたのは今でも心に残っています。
「ああ、見ていたんだ」ということ。
そう、自分の準備やアプローチをきっと見てくれていたんだ、と。
そして、はみだし刑事Ⅵの打ち上げの時、柴田恭兵さんは我々の席にご挨拶にきて、レギュラー巡査役の我々に「君たちがこれまで見たエキストラの中で1番すごい」といったことを伝えてくださり、感謝をされたことがありました。
また、撮影中でしたが、撮影監督の緒方博さん(奈美悦子さんとご結婚)が、監督よりも強い口調で俳優のことを言ったりするのですが、我々のことを「彼らは、これまでのエキストラと違うよ。すごくいいんだよ」と全員をほめてくれたこともありました。
怖いカメラマンがこんなことを言ってくれるなんて、というのも「見ている人がいる」と心強く思った次第。
そう、私が言いたいのは「見ている人は見ている」ということです。
補足:中野監督は現在もWSを開催しています
メソッド演技とは全く違うアプローチであるため、私はもう中野監督のワークショップに参加することは恐らくありませんが、映像監督目線がどんなものかを知る上で面白いかと思います。
一般的には世の中の監督は「そう見える」「見たい絵」をカメラの前で追求しています。それに当てはめたいと考える監督のヴィジョンは、求めた時に求めた絵を出してくれる俳優なのです。特に時間のない日本の現場においては、このヴィジョンが罷り通っっています。私はこのことが名優を育てる阻害要因になっていると思うのです。
それが悪いと言っているわけではなく、監督というのは俳優にリクエストする仕事ですから、それに応える俳優のベースがどんなトレーニングからきているかで演技のクオリティやリアリティは変わってくるのです。
つまり俳優がどう演技ツールを積んできたかに依るということです。
世界で圧倒的に称賛され、俳優として素晴らしい演技と称えられる素晴らしい演技は、今初めてそれを体験したかのように生きたナマの演技。私はずっとそれを求めて突き動かされています。
まとめ
エキストラの仕事で、何もそこまでしなくても、と思ったでしょうか。
どんな小さな役だろうと、エキストラだろうと、シーンは出演している人全員で作られています。俳優そのものがその認識で準備しないとことには、画面の中の生命が抜けてしまうと私は感じています。
もう一度、リー・ストラスバーグの言葉を引用します。

どうでもいい役はない。どうでもいい俳優がいるだけだ
全ては、俳優の、あなたのエキストラに対する捉え方次第です。
だからこそ、エキストラも重要や役のひとつであり、さらにそれを導く演出助手(AD)の手腕も大切なのです。
その認識の高いADさんも何人か見ましたし、逆も然りです。基本的にエキストラに指示を出すのはADさんです。その演出の仕方ひとつで、正直シーンは変わります。その意識の高い人と何となくやっている方の違いは実は大きいです。
私のお話は一例に過ぎませんが、見習って欲しいと言っているのではありません。
ただ、俳優は俳優の準備をして撮影に挑んでください。
そうお伝えしているのです。
結果的に色々な運が重なって、私はその後活躍の場を広げることができました。自分がすごいわけでも何でもありません。どうか映像作品のクオリティを一段あげる力となってもらえればと願うばかりです。
ハリウッドのパニック映画でも、エキストラたちの真に迫る表情、素晴らしかったりします。その重要性を理解すればするほど、体験する演技への準備を怠ることは俳優ならば考えられません。さぁ、準備しましょう!
あなたが、俳優として生きるなら、役を生きてください。
そのために、まずはあなたの心の防衛本能を解除することから始めましょう。

こちらの記事も参考にしてください。






























どうでもいい役はない。どうでもいい俳優がいるだけだ。