監督や演出家の指示に俳優が対処するための考え方

監督や演出家の指示に俳優が対処するための考え方

こんにちは、演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、久しぶりに俳優業を再開する方などに役立ててもらえたらと考えています。

私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」


演技のことは、独自の理論でいろいろな発展をしていますので、あなたが、聞く人、聴く人によって返答が変わってくることも多いと思います。そこで八方美人的に対応してきて困るのが俳優。

私はスタニスラフスキーから派生た体験する演技を実践で挑戦してきました。リー・ストラスバーグステラ・アドラーサンフォード・マイズナーマイケル・チェーホフゼン・ヒラノイヴァナ・チャバックの演技理論からトライ&エラーから積み上げてきています。
私は演技を追求することが結果として好きすぎてしまったため、俳優としてはトレーニングを日々繰り返しながら、実践に生かし、時にはエラーを受け取り、演出家として俳優に挑戦してもらいながら素晴らしいアクティングを引き出す方法としてもこれらの演技ツールを使ってきました。

そう言う意味で私は、メソッドアクティングをベースに演技トレーナーをしていると公言している次第です。
今回は、その演技ツールがいかに現場で必要か、また現場での対応方法に対する考え方を少しご案内します。時に、演技トレーニングを受けてもなかなか実践で生かせていない、現場で役立てられていないといった声をいただきます。実践での役立て方まで教える人が少ないのかもしれません。

監督のワークショップ、演出家のワークショップについての認識

監督や演出家によって、俳優に求めてくるものや、俳優の仕事の捉え方はバラバラです。「俳優はこれくらいできるのが当たり前」と思っている度合いなどもまたバラバラです。
俳優は、このことをよく認識しておくことが必要です。

そして、監督や演出家は基本的には演技のプロフェッショナルではありません。
ここを本当によく理解してほしいところです。

ましてや、プロデューサーやマネージャーは演技のプロフェッショナルではありません。
プロの現場を観てきたことと、演技を知っているかは別物です。

その演技がどのようにしてうまくいったかを必ずしも知っているわけではありません。
こんなことを言うと、私が監督や演出家をよく思っていないかのように聞こえるかもしれませんが、そういうことではありません。
監督や演出家は、俳優に求めることが仕事のひとつです。
シーンのヴィジョンを持ち、そこに俳優を当てはめているのです。
求めることが仕事だからこそ、俳優に求めることに自体に悪いことはひとつもありませんが、俳優から演技を引き出す言葉を使用できるかは別問題なのです。
つまり演技のプロフェッショナルではないため、監督や演出家の指示を受け取た後、それを演技可能なものとして対処する力が俳優には必要であることをもっともっと俳優は認識する必要があります。

監督や演出家は、俳優への演技の求め方を勉強してきた人と、イメージや独自の脚本感で対応しながら監督業のみに精通した視点で相手に求める人と雲泥の差があると思います。
どちらが俳優からいいアクティングを引き出すかは想像できますでしょうか?
また、俳優トレーニングを勉強してきた人と、そうでない人とは雲泥の差があります。

監督の映画学校で演技のトレーニングをするところはほとんどないと言います。他に勉強することが膨大だからに違いありません。
また、劇団◯季は演技は10年くらい経てば自然に身につくから勉強しなくていい、とまで言っているほどです(聴いた話ですが、誤認であればすみません汗)。歌とダンスのクオリティは素晴らしいですが、ストレートな演技まで視野を広げるには、正直もっともっと演技を学ぶ必要があるでしょう。

監督や演出のワークショップって何をするのか?

世界でも監督が演技ワークショップをする国は稀、だそうです。
ましてや、プロデューサーがワークショップをやるなんてことはありません。
なぜなら、その力関係がセクハラやモラハラの温床になるからです。
これから俳優を目指す方は特にそのことを知っていてほしいところです。
また俳優は演技コーチや演技トレーナーのもとでトレーニングをしたり、役に合わせた準備をしたりしていくのです。役割がしっかりと分かれていますよね。

ただし、監督のワークショップと同等の意味でキャスティングオーディションとなっているものもありますので、その場合は演技指導というよりはキャスティングするために見ているので別物です。

しかしながら、キャスティングオーディションで演技を試してもらうことは大いにありますが、それが事務所勧誘のための演技指導になったり、後日演技スクールの勧誘案内となることもおかしなことだったりしますので、初心者の方は気をつけてください。
お互いが合意で素晴らしい俳優トレーニングに向かうのであれば話は別です。

キャスティングオーディションは、あくまで俳優にシーンについてセッションしたり、リクエストをすることが基本でしょう。

俳優はどんな監督や演出家のリクエストにも対応する力が必要なのです

これは当然と言えば、当然ですよね。
人としての成熟度も、演技に対する知識量も、全然違う上に、作品もバラバラなのですから、
俳優が十人十色と同じく監督や演出家も十人十色です。

様々なリクエスト(指示や要求)に対して、八方美人的に対応していたのでは俳優は土台がグラグラのまま成長せざるを得ません。様々なリクエストに対して、ある土台から対応していくことが俳優軸で生きる、考ええることになります。
そのひとつの土台が、メソッドアクティングだったりするのです。

もちろんメソッドでない方法でも、対処できる演技ツールを使って返せる力が大切です。
私はそれらのことを「俳優脳で言葉を変換する必要がある」と言い換えています。

俳優脳で監督や演出家の言葉を変換するとは?

例えば、こんな指示があったとします。

監督さん

最後は笑ってください

俳優さん

はい!

監督さん

じゃ、そこだけ抜きでいきます

俳優さん

はい!

そう言って俳優は、一生懸命瞬発能力で笑おうとするんです。
とりあえず求められた「絵」を形で瞬発的に表現してしまいがちでなのです。

形や最終的な「絵」を求められた場合に、「絵」で対応するのではなく、役を生きるための変換が俳優に求められるのです。その変換とはつまり、動機やシーンの役の目的、つまり行動に変えることで生きた演技に変換ができるのです。
頭で考えるというより、行動することで体験の演技に変える必要があります。
俳優の演技は細部に楽器が響いていればいるほど素晴らしい機微が出てきますので、そうなるように心と体のリラクゼーションも必須です。(リラクゼーションについての記事はこちら

笑う理由を瞬発的に見つけることは難しいかもしれませんが、何かに置き換えたり、自分ごとに置き換えたりしながら瞬時に対応していく能力が俳優には必要となります。

「自分ごと」というのは自分の心が動くように解釈し直すという意味。
そのトレーニングもまた必要で、頭で考えて演技しても結局は形になるため、「今起きている自分ごとの体験」に変えることで実感の伴った自然な演技へとつながっていくのです。
それこそが、演技ツールを使用した演技対処方法となります。

結果を求めてしまいがちな演出方法が俳優の想像力を奪う

これは監督業の人も演出家の人も知っていて欲しいところです。

演出家としても言わせていただくと、監督や演出家がもっともやってはいけない方法が「俳優の想像力を奪う」ことです。
俳優の代わりに演技をやってみてせて「こういうふうにやって欲しい」なんて演出方法はある意味俳優の想像力を奪うもっともな例です。
日本の超大物劇団の演出家がこれをやっているようですが、その形に向かうための準備方法を知っている俳優なら想像力を使って体験の演技ができるかと思いますが、そうでない場合には形ではめた演技になってしまいます。

俳優は心配しながら生きている生き物です。
良くないことですが「答え」を欲しがっていますので、監督や演出家が示した「答え=形」をすることで、「答え合わせ」として対応してしまいます。
クリエイティブに想像力を使って対応したいところですが、形を示されると相手やシーンの状況に注意がいかず、想像力が働かなってしまい形だけで対応しがち。

あなたはテストで答えを教えてもらった後に他の可能性や詳細を考えますか?
きっと難しいと思います。こういうのをリザルト演出と言いますが、私は映像現場で多くを目撃してきましたし、また恥ずかしながら若い日の劇団時代の自分を振り返っても当てはまります。

「こういうふうにやって欲しい」と俳優の代わりに動いて教えることも悪きですが、言葉で同じことをしてしまっている監督や演出家は多いかもしれません。

俳優は監督や演出家の指示を演技可能な言葉に変換する力が必須

例えば

監督さん

そこは泣いてください

監督さん

嫌な気分になっているから、そこは切ないはずだよ

俳優はそのリクエストに対して「悲しくなろう」「切なくなる事を考えなきゃ」なんて対応していたら、ありきたりな型にはまった演技になりがちです。

シーンの状況によって変わってきますが、たとえば「泣いてください」といったリクエストに対して、俳優は相手を伴った行動に変えると心が自然に動きだすのです。
つまり「深く傷ついたことを相手に分からせる」と行動した方が「泣こうとする」よりよっぽどダイレクトな演技に変わります。

頭で考えるのではなく行動が先で感情は後に動いてきます。
そのように演技ツールから対応していければ、より自然な生きた演技が生まれるのです。
行動して心が反応していくトレーニングが我々には必要な課題と言えるでしょう。
(リラクゼーション、レぺテション、プライヴェートモーメントといったトレーニング)

特に現代社会では、若い世代は行動せずに情報を得て危険回避をすることで経験をせずに成長してきていますので、行動の想像力も働かなくなっているのが現状だと感じています。演技であれば安心して経験できるため、行動して欲しいのですが、そもそも行動の仕方が分からない、衝動が起きないなんてことも現場で感じています。
日常経験できないことを経験することがトレーニングにもなり、シーンについては演技ツールを使ってリハーサルでどんどん試せるようにして行ける現場が望ましいですよね。

まとめ

監督や演出家についてここまで記載する人は恐らくいなかったのではないでしょうか。
どこかタブー視されているような気もしなくはないです。
それは力関係がそうさせていたのだと思います。
監督の方が俳優よりも一握りです、勉強量も多大、責任も多大、そして準備も多大なので、なかなか最後に合流するような俳優とは自負が違います。当然ですよね。

監督や演出家、プロデューサーに嫌われたらおしまいの世界、そうなっていたからです。
俳優が監督や演出家から「演技が下手だと思われたら怖い」と思っていると同じくらいにきっと
監督や演出家もまた「演技のことわかってない」と俳優から思われるのが怖いのです。

その心理をお互いが理解し合えていれば、もっとクリエイティブな現場になり、素晴らしい演技が生まれると思いませんか?監督と主演俳優がセッションする現場はよくあると思いますが、脇役の脇役の脇役の脇の細部までセッションできる現場が望ましいですよね。
しかし、時間・予算の制約からそんな時間はほとんどないのが日本の現実です。

だからこそ、俳優は監督や演出家の言葉を演技可能な言葉に変換して、対応していく術が必要なのです。

そのためには、メソッドアクティングなど演技のベースが必要と言っても過言ではありません。
もちろん、監督や演出家が俳優から生の演技を引き出すツールを身につければ尚素晴らしいと思いますし、現にそのようにされている監督はいるのです。

ただ、演技というのはある種の心理学です。心理の勉強、人間理解の勉強をし続けることでもあります。そのパーソナルな部分は人によって全然違うため全てを同じように指導することや演出することは不可能だからこそ、俳優は自分を知って、自分がシーンの希望に合わせて行動(Acting)できるように準備する術を身につけることが望ましいのです。

これこそが、あなたが監督や演出家の指示に俳優が対処するために演技トレーニングをする理由です。