俳優の心の壁?感情解放を自然にできる人とそうでない人がいるのはなぜ?

俳優の心の壁?感情解放を自然にできる人とそうでない人がいるのはなぜ?

こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、養成所や俳優学校を卒業してもなかなか実践に生かせない方を対象に、私の記事を役立ててもらえたらと考えています。

私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」

さて、今回は改めて感情解放について。
感情解放について悩んでいる方もいるのではないでしょうか?
感情は色々なことの我慢の積み重ねで、抑えられて抑えられて、心の深くに眠らされていきます。
それは良い感情も悪い感情も、です。

良い感情、悪い感情という言葉自体が感情に優劣をつけている気もしますので、ここでは全ての感情を「本音」という言葉を使ってみましょう。

「本音」は感じた瞬間に、即座に言葉や行動で変換されたがっていると想像してみてください。
一般社会や世間体を気にした世界に居て、即座に「本音」を出してしまうことは難しいと誰もが思うのではないでしょうか。
だからこそ、感情を自然に解放していくことは誰もができることではないのかもしれません。

今回は私の20代に立ち上げた劇団の時の経験を踏まえ、感情解放について語ってみます。
まだまだ未熟極まりない自分の姿でしたが、多くのことを認識しました。
自分のブレーキを発見すること、それが感情解放に繋がります。

心の蓋については下記に詳しく記載しています。
ぜひ、こちらを読んで本記事も通してもらえたらと思います。
「感情解放をするにはどうしたらいい?プロが教える俳優がやるべきこと」

感情解放された本当の怒りを目の前にしたことがありますか?

私が20年前に立ち上げた劇団の中心人物の中に、過去に暴走族だった人物がいました。
そんな彼が持っていたエネルギーは物凄いものがありました。
彼は、怒りを溜め込むともう湧き上がったお湯のように沸々とエネルギーが溢れ出すのです。

彼は当初、自分が感じた理不尽や不合意に対して、劇団員に遠慮していましたが、だんだんとお互いに心許してくると…。
ある日、彼の下北沢の家で会議をしていた時、こんなことが起きました。

夜、遅々と進まない会議に、突然立ち上がり、目の前のスタンドミラーを思いっきりグーで殴りつけてスタンドミラーを大破させました。
そして、右手拳は血まみれになり、彼は「はぁ、はぁ」と息を漏らし続けました。

私はそのような怒りとそれをそこに向けるエネルギーの意味が分からず、狂気にも似た形相の彼と彼の行動に衝撃を受けました。
今思えば、消化できていない感情がたくさんあり、そのダムが決壊していたような状態なのだったと思います。

その後、彼が水面化に爆弾を抱えているかのような状態で対話した時間は多数。
とてもではないですが、いつ爆発するか分からない中、恐々と会議することは創造性がある時間とは言えませんでした。

自分の意見に反論があれば叩き、意見を言えば「それは違う」と叩く。
時に人を馬鹿にして笑い、自分が指摘されると傷つき怒る。
もちろん、普段は創造性溢れる魅力や対話能力があり、面白く愛される人物です。

しかし自分が許された場所だと潜在的に判断すると、彼の解放された感情は凄まじかったのです。
仲間だからこそ放出できたのは間違いありません。

そして、それは演技でも同じく反映され、彼から出てくる感情は素晴らしく俳優としてもエネルギーに満ちていました。

20代の私にとっては出したくても自然に出すことのできない感情が溢れ出ており、驚いていました。
なぜなら、私はこの時までここまで怒りを露わにして相手を攻撃するのを目の当たりにしたことがなかったからでした。

しかしながら、未消化な感情がいつどこで沸点に達するか怖くて、次第に劇団員の誰もが彼の顔色を気にすることが多くなってしまったのです。

そうです。
対比としては、感情解放が自然にできる彼と、感情解放が自然にできない私、という構図。

感情解放へ向かうには、自分の「本音」にブレーキをかけているものを自覚していくこと

育った環境によって、その感情の抑圧はさまざまです。

劇団員の例を通して言えば、子どもの頃に家庭から感じたものが全然違うのを感じました。
抑えてきたものもきっと多かったに違いありません。

子どもの頃の経験をたくさん話してくれました。
時に笑い、時に衝撃を受けました。
プライヴェートなことですのでお伝えはできませんが、それらを素直に話せる彼がまた魅力的であり、凄いなと感じていました。

怒りだけではありません、恥ずかしいと感じることや、楽しいこと、辛いことなど感情解放は実に素直に出てくるのです。

しかしながら、そのエネルギーはどこか彼自身の満たされないエネルギーに委ねれれていました。彼の時として不本意に対して相手に向ける怒りのエネルギーは賞賛に値しません。

感情の爆発が日常から相手に牙を向くように出てくることではなく、未消化な感情を素直に出して消化していくことができれば、俳優として素晴らしい武器なのです。

当時は、その恐怖と時々対峙し、私の心はすり減りました。
また、私も彼を怖いと思うことを認めることがうまくできなかったため、かなり心体がかたくブレーキがかかっていたのです。
その劇団の世界で、私は私の「本音」を出すことが難しくなってしまった、といった状況。

シーンの中では良いのですが、シーンを出ると心体は「本音」にかなりブレーキをかけ、神経をすり減らしました。

「本音」を言えば劇団は崩壊する、
「本音」を出せば彼を激昂させて大変なことになる、
「本音」を出せば殴られ喧嘩になれば関係は終わる、
かもしれないの連続。

そんなことが常々心に棘をたくさん刺していた日常がありました。

そういったことを自覚していき、心と体を整えていくのにリラクゼーショントレーニングは非常に有効なのです。

潜在意識と接点をつなぎ出した呼吸は、未消化な感情までも表出させ、それを消化させていくことを担っていくのです。

そして、一度消化された「本音」という感情は、演技の中でも自然に出てくるようになるといった具合。

感情解放の課題、それは見せたくない自分を知る

私個人の体験から言えば、人前で涙を流すことがなかなかできずにいたのも事実。
20代半ばまでは特にそうでした。

それは人前で泣くのはカッコ悪い、大人なのに、といった精神的な価値観が埋め込まれていることが原因だったかもしれません。
無意識の中で積み重なったブレーキの数々。

そして、心も体もブレーキだらけの日常の中「自分の弱さ」を認めることがなかなかできなかったのもあります。
いい人でありたいと、潜在的にカッコつけていた自分もいたし、カッコ良いと思っていた自分も演じていた。
恥ずかしいところを見せたいと思ってもいなかったですし、嫉妬心を女性に見せることもせず、それを出さないように気を張っていた自分がいたのです。

言ってしまえば、見せたくない自分をたくさん持っていたのです。
その幾多の見せたくない自分を見せないために、慢性的に自分の心と体は緊張していたといっても過言ではありません。
事実そうだったのです。

つまり、私は感情解放ができていない心体だったのです。
いえ、表面的には押し出して頑張っていたといったところだったと思います。
しかし、潜在意識に当たって出てくるようなところに至っていませんでした。

感情が自然に解放され、自然に出た涙

転機は20代半ばでした。
ある時、この劇団内で私は元犯罪者の役を得ます。

その彼が書いた初の脚本でのこと。
私以外の脚本と演出でやるのが初めてで、私は俳優業に集中できる喜びに満ちていました。

そして、彼が与えてくれた役は、元犯罪者で人と口をきけなくなった少年院上がりの人物。
出所後に雇ってもらった製作所での人間模様をベースにしたお話でした。

私は感じたことを言葉にすることができず(本当はしゃべることができるが)、心の中で留めて、我慢しているような状態が続いた役。
クライマックスで刃物を持った強盗と接触し、私は刺されて、血を流しながら過去の自分の過ちを告白していくシーンがありました。そこで物語として初めてしゃべるといった具合です。

それまでの私は、こと涙に対してなかなか感情が自然に出てくることができなかった経緯がありました。
そんな私でしたが、通し稽古(最初から最後まで止めずにする稽古)で、役と自分が重なり、その役にのめり込み、クライマックスで涙が溢れてしまったのです。
自分自身でも全く予期していなかった状態。

本音を言いたくても言えないシーンがずっと続き、口を閉ざしていた役。
いつしか自分の日常と役がシンクロし、我慢していたものが自然とクライマックスで溢れてしまったのです。

未消化だった私の感情がそこで放出され、私はその日の夜に何が起きたのか整理しました。
そして、役と自分の共通点を見つけ、それを体験したことに気がつきました。

稽古を重ねる中、役と自分の未消化だった感情は消化され、一度消化された感情は、何度も同じように出やすくなることを発見しました。

そのクライマックスシーンでは何度もやっても自然に感情が溢れ出すのです。
その時、自分のブレーキは外れ、決して「人前」を意識していたのではなくシーンの中でただ生きていた状態だったのです。

まとめ

誤解のないように言っておきますが、
私は日常から相手に牙を剥いて傷つけなさいと言っているわけではありません。
日常で傷つけることはむしろNGです。
それはシーンの中で安心してやってください、というのがルールなのです。

ドラマ、映画、舞台の中では、相手を傷ついて良いとお互いに許された世界。
つまり、傷つけていいですよ、といったオープンナップができた状態でお互いに認め合える世界。

だからこそ、シーンの中で受け取った時に自然と溢れ出してくるのです。
この状態を、目指して心体のトレーニングをしていくことが俳優トレーニングのベース。

感じやすい心と体の状態を作るのです。

私が20代半ばで体験したこの自分の心の壁の発見は、その後メソッドアクティングとの出会いにより確信を得ました。

そして、役作りをするうえで、役を理解するうえで、大きなポイントであることも分かりました。
役との共通点を発見していくこと、そしてそれを膨らませていくことに繋がります。

自身立ち上げた劇団を30歳で卒業して、さらに成長の旅へと向かうのですが、多感な20代において出会った仲間たちは本当に多くのものをもらいました。

自分とは異質の仲間との作品づくりでの強烈な対話、興行成功のための対話、人間関係を紡ぐための対話、そこは今も変わらず人間理解への旅の入り口として多いに私を刺激します。

結論。
感情解放は、日常の自分のことを知り発見すること、そして自覚することから心は変化する。
そして、自分の弱さを受け入れることが出発です。

尊敬するアーティストに「THE BLUE HEARTS(ザ・ブルー・ハーツ)」がいますが、その「情熱の薔薇」という名曲に、こんな歌詞があります。

花瓶に水をあげましょう
心のずっと奥のほう
涙はそこからやってくる
心のずっと奥のほう

まさに、その通りですね。

最後に

ここまで読み進めてくださり、ありがとうございます。

もし、記事を読み終えて「頭ではわかったけれど、自分の場合はどうなんだろう?」と少しでも感じていらしたら、一度私と話をしてみませんか。

演技の技術、表現の壁、あるいは日常のコミュニケーション。 一人で考え込むよりも、対話(セッション)を通じて今の感覚を言葉にしてみることで、驚くほど道が開けることがあります。

月に10名様という限られた枠ではありますが、あなたとお話しできるのを心から楽しみにしています。