こんにちは、アクティングコーチ・演技トレーナーの山縣です。
演技のことは言葉だけで伝えることの難しさは重々理解しているところですが、少しでも演技初心者の方や、養成所や俳優学校を卒業してもなかなか実践に生かせない方を対象に、私の記事を役立ててもらえたらと考えています。
私のモットーとしては、ブレることはありません。
「日本の俳優のレベルを底上げする」
「演技ツールを一般の方に解放し人生に生かしてもらう」
さて、今回は上手い演技と下手な演技について。
時々、上手い演技と下手な演技の見分け方が分からないと疑問に思っている方がいます。
一般の方で演技の追求をしているわけでないのであれば、それはそれで良いのです。
しかしながら、あなた俳優をしていたり、俳優を志していたり、賞レースを見て楽しみたいのであれば、演技についての視点を変えることで発見できるかもしれません。
別の記事でもお伝えしましたら、演技では「上手い」という表現は避けたいところ。
サッカー選手に「サッカーお上手ですね」とは言いませんよね?
ただ、言葉の語彙力の問題もあると思いますが、一概に言えません。
恐らくですが、「上手い」というのは「技術的に」ということを暗に意味している気がしていますので、もしも技術力と考えているのでしたら、その表現も避けたいところ。
演技に欲しいのは技術より、無意識が出てくる演技なのですから。
もし演出家や監督に「演技は上手くなるな」なんて言われている俳優がいたら、それは的を得ているかもしれません。
では「演技が上手い」よりも俳優が言われたいのは「演技が凄い」です。
そして、強いて言えば
演技は「良い演技と」「良くない演技」がある
といえば分かりやすいかもですね。
「凄い演技とは何か?」「良い演技とは何か?」といったことで視点を変えてみてみましょう。
演技はフリや真似をすることと思っていませんか?

演技はいまだに、フリをしている、その人の真似をしているという認識でいる方がいます。
はっきり言って間違いです。
もちろん、我々が生きる演技の世界は、虚構です。
虚構だと分かっていても、そのシーンの中を生きるのですから、当事者にとってはフリではないということなのです。
演技は「役を生きること」と何度か記載してきましたが、視点を変えれば「役が生きてる世界」なのです。
その視点でぜひ、演技を捉えていきましょう。
そして演技の種類も思い出してください。
演技は大きくわけて2つあるのです。
もしも、フリや真似に見えたら、それは「演技してしまっている」=「形の演技になっている」ということですね。
「上手い演技」=「良い演技」は、その瞬間生きているかどうか

「演技が上手い」=「演技が凄い」=「良い演技」
という意味で言っている場合の演技は、
今を生きている演技です。
そこで初めて経験したかのように、今を生きている演技。
海外の賞レースの中にある主演男優賞や主演女優賞の演技をぜひみてください。
「その世界に生きている人がいる」としか思えないほど、今を生きていたりします。
下記映画やドラマをご参考ください。
「上手い演技」=「良い演技」の条件

ここで良い演技の4つのポイントをピックアップしていみます。
- 映ることを考えながらそこに居ない。
- 台詞を考えながらそこに居ない。
- その世界において、自分の目的に向かって行動しているだけ。
- 独りよがりではなく、相手と関わって心を動かしている。
- 行動が不自然に見えない
- 無意識に反応しているように感じられる
今感じたのではなく、何かを考えて反応したようなものや、表情を作ったり、その感情を見せようとしていたりすると、それは今起きたことから感じ得たものではないので、結果的に嘘くさい、不自然、芝居くさい、演技となるのです。
また、相手と関わっていない演技は、当然ながら自分だけの世界にいますので、存在しないかのようです。
「下手な演技」=「良くない演技」って何?

では、「良くない演技」って何?と思いますよね。
「良くない演技」=「今を生きていない演技」
あまり参考を出すと厳しいかもですが、三谷幸喜作品でAmazonプライム「誰かが、見ている」が芝居くさい、今を生きていない、自分勝手であるの三拍子が揃った演技といえば分かりやすいと思います。
※海外メソッドの視点から言えば、と思ってください。批評するつもりはありません。
「下手な演技」=「良くない演技」は、その世界でのことを考えて生きていない

行動を完全にコントロールした演技は、今を生きることができないと言えます。
「形の演技」になりやすいのです。
「良い演技」は「今を生きている」のですから、その世界にないものを意識して行動をコントロールしようとした態度や感情は嘘くさくなって当然と言えるのではないでしょうか。
例えば、あなたも実生活で、これだけは相手に言おうと思って、言い方を練習したり、言う内容をしっかり決めていた場合を想像してみましょう。
いざ、相手を目の前にしたら、それを言うタイミングばっかり考えてしまい相手の話を聞いてないことありませんか?
その結果、遂に言いたかったことを言った場合、相手との対話や文脈を無視して言っていたなんてことありませんか?
その不自然さに近いのが、「良くない演技」です。
そういう役なら良いですが。
その演技、たとえばナルシスト的ではないか?

ナルシスト的に、常に自分に注意がいっていないか?ということ。
ここまで読み進めてくると、一つ前の見出しの延長線上にあることがわかってくるのではないでしょうか。
相手と関わっていないということですね。
何が起きても、自分が決めた返し方や台詞の出し方で返してしまう。
これって割と日本のドラマに見て取れる現象なのです。
2時間ドラマや昼ドラはその宝庫でした。
番外編にも近いですが、沢口靖子さんの演技を見ると分かりやすいかもしれません。
そういうキャラとして存在していて、沢口靖子さんブランドとして成立してしまった珍しいタイプですが、あれが面白いのは誰にも干渉されない、乱されない、人間的ではないからです。
それを面白がられたといった可能性があります。
演じてしまっているくらいなら、棒読みの方がまだ良い

「演技が下手な人」=「棒読みな人」といった感じの記事も見受けあれます。
海外メソッドを学んだ人であれば、『相手と対話して心が動かなかったら、嘘くさく反応するよりも、何もしない方が良い』といった認識があります。
下手に反応するより、何もしないで、それが棒読みっぽく聞こえてしまうのであれば、悪くはありません。
しかし、それが緊張やら自意識や自分の演技をコントロールするために出た結果なら、非常に気持ち悪い違和感を視聴者やお客様に与えてしまうでしょう。
誤解のないように言えば、リハーサルや稽古の段階で、何も感じないのであれば問題ありません。しかし、その原因を突き止め本番は生きた演技に変えていくことが前提です。
まとめ

結論を言えば、「良くない演技」をしなければ「良い演技」になるのです。
「良くない演技」をしないために、演技トレーニングをしていくわけなのですね。
「良くない演技」をするために、日常以上に五感が鋭敏であったり、相手と対話して感応し合う必要があるのです。
それ、相手がいなくもできちゃうじゃん、相手がいても関係ないじゃん、みたく相手と関わってない演技は「今」を捕まえている座標がありませんので、違和感や下手さを醸し出します。
子どもの遊びでも、子どもがその物語の世界にいて、親が現実的な話をすると、「やめて!」って返してしまうくらい必死に生きていることがあります。
そう、虚構と分かっていても、その物語の中で一生懸命生きてるのです。
そこに、その物語と関係のない思考や言葉が世界を壊してしまうように、俳優の心や体の中に、その物語と関係のない思考や言葉や思惑が入ってしまうとその世界を壊してしまうのです。
「良くない演技」をしないための、演技トレーニングや視点へいきたいところ。






































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